とある UI デザイナーの雑記

しがないフリーのUIデザイナーの独り言

ドライとウェットの境界線

以前、会社員として勤めていた会社を退職する決断をした時に割と苦労したのが、極力「ドライ」な気持ちを保つ、という事でした。

というのは、関わった仕事でのアウトプットを自分の子供のように大事に思う感情すら一時は抱いておりましたので、自ら決断したとは言えそれを断ち切ることが辛かったですし、さほど大きなサービスではないインハウスならではなのかもしれませんが、自分が関わったものだらけになっていたので、正直、普通の視点では、もう見られなくなっていました。ウェットの極地というか。

・デザイナーとしてもっと成長したいけどここにいたらもう成長はできないだろう(ドライ)
・ずっと関わったこれらのデザインと離れるのは悲しい自ら手を離したら終わりだ(ウェット)

といったような思いが入り乱れ、決断してから退職するまでの半年間(辞意を伝えたのは2ヶ月位前)は心身の平穏を保つのが大変でした。
(周囲にはそんなそぶりは当然見せないように気を付けておりましたが)

仕事には本気で取り組んでいましたし思い入れもそれなりに強くあった反面、組織内で偉くなりたいとか出世したいとかあるいは社内政治に奔走したりとか、そういう思考が一切無い&価値を見い出せない、このままのらりくらりとぬるま湯に浸かってやり過ごせば楽だけど、自分はそれを求めてやってきたわけではないのではないか?と自問自答し続け、結果このままではマズいぞと気付いた自分は、個のプレーヤーとして極める人生を歩みたいと考えるようになりました。

わざわざ手に入れた安定を、いい歳をして自らかなぐり捨てるとか正気の沙汰じゃないのは分かっていたのですが、たとえ、社会的に身分が不安定でも、厳しい道かもしれなくても、手を動かす側として徹底しプロとしての仕事を追求していく立場へとよりなっていく方が、自分にとっては幸せなのかもしれないと悟りました。
そして、ウェットになり過ぎた制作への思いを、ドライにシフトチェンジし、生産的に、効率良く、何より自分が心地良く静かに暮らしていきたい。
その答えが、フリーランスとして働くという決断でした。

「静かに」と書きましたが、それは、フリーランス=自由に大きく羽ばたきたい、というよりは一種の「諦め」や「限界」を感じていて、年齢的にも人生の折り返し地点を迎える前に、適性に沿った人生の選択をしたいと感じていたからというのもあります。
組織内のディレクター的役割や人を取り纏める適性が自分には無い。そういう立場を一度やってみて様々なウェットな気持ちを通じてそれらを痛感していました。
だから、ドライに、静かに、個になりたい。
自分の特性を活かつつ、ただ淡々と仕事をこなして生きていければ幸せ。
こんなことを公の記事に書いたら、仕事関係の人の目に触れて、印象が低下するかもしれませんが、それでも、その時に思い描いた理想像というか正直な気持ちを述べるならば、そんな想いでした。

しかし、実際にフリーになってみると、出会ったお仕事の関係者の皆様方のレベルの高さに「淡々と」などと言ってる場合じゃないことに気付かされます。
今年になって、様々な会社の色々な人達と出会いましたが、本当にもう何というか皆様凄い方達ばかりで、ご一緒していると良い意味で感情を動かされることが非常に多くあります。
よりシンプルに、ポジティブなプラスの感情や成長したい意欲を抱けるようになりました。
シンプルな思考になれば、ドライ/ウェットの切り替えも意識しやすくなる気がします。

目の前の仕事にとことん向き合うということだけは、昔から変わらずにずっとやってきたつもりです。
これからも、一歩一歩を大切にしながらやっていきたいと思います。

とはいえ、仕事においては不要で非効率な感情は取払って、ドライに、ドライに。
ビジネスですからね。

変な感情に押し流され過ぎることなく、心がけてやっていきたいと思います。